【嫌われる勇気の名言集】厳選50!!ページ番号掲載【20代の若者の心に響いたもの】

「嫌われる勇気」の名言を50個、厳選しました。20代の私の心に響いたものをまとめています。

(引用元:岸見一郎・古賀史健(2013)嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え.ダイヤモンド社)

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「イントロダクション」

※本書では「哲人」と「青年」による対話篇形式で、ストーリーが進んでいきます。「名言」は、特に記載のない限り「哲人」の言葉です。

世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。<5ページ>

あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。<6ページ>

第一夜 トラウマを否定せよ

われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません。<28ページ>

われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるのか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。<30ページ>

過去がすべてを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きるわれわれは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう<37ページ>

大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである<44ページ>

いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです不幸の星の下に生まれたからではありません。<45ページ>

あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。<51ページ>

ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな”勇気”を試されます。変わることで生まれる「不安」と、変わらないでいることでつきまとう「不満」。<52ページ>

あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りていないのでもない。あなたには、ただ、”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです<53ページ>

「もしも何々だったら」という可能性のなかに生きているうちは、変わることなどできません。<55ページ>

アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と<56ページ>

第二夜 すべての悩みは対人関係

もしほんとうに自信を持っていたら、自慢などしません。劣等感が強いからこそ、自慢する。自らが優れていることを、ことさら誇示しようとする。そうでもしないと、周囲の誰ひとりとして「こんな自分」を認めてくれないと怖れている。<88ページ>

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。<92ページ>

われわれは誰もが違っています。性別、年齢、知識、経験、外見、まったく同じ人間など、どこにもいません。他者との間に違いがあることは積極的に認めましょう。しかし、われわれは「同じではないけれど対等」なのです。<92ページ>

われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。<93ページ>

過去の出来事にどのように意味づけをほどこすか。これは「いまのあなた」に与えられた課題です。<101ページ>

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。<108ページ>

友達が多いほどいいと思っている人は大勢いますが、はたしてそうでしょうか?友達や知り合いの数には、なんの価値もありません。(中略)考えるべきは関係の距離と深さなのです<115ページ>

あなたが変われば、周囲も変わります。変わらざるをえなくなります。アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学なのです。他者が変わるのを待つのではなく、そして状況が変わるのを待つのではなく、あなたが最初の一歩を踏み出すのです<115ページ>

人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くことでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。<116ページ>

われわれ人間は、原因論的なトラウマに翻弄されるほど脆弱な存在ではありません。目的論の立場に立って、自らの人生を、自らのライフスタイルを、自らの手で選ぶのです。われわれには、その力があります。<123ページ>

第三夜 他者の課題を切り捨てる

他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。<132ページ>

ユダヤ教の教えに、こんな言葉があります。「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」と。(中略)他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。<135ページ>

ある国に「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざがあります。(中略)自分を変えることができるのは、自分しかいません。<143ページ>

話がまったく通じない上司がいて(中略)、その上司から認めてもらうことは、あなたが最優先で考えるべき「仕事」なのでしょうか?仕事とは、社内の人間から気に入られることではないはずです。<148ページ>

対人関係のベースに「見返り」があると、自分はこんなに与えたのだから、あなたもこれだけ返してくれ、という気持ちが湧き上がってきます。もちろんこれは、課題の分離とはかけ離れた発想です。われわれは見返りを求めてもいけないし、そこに縛られてもいけません。<154ページ>

他者の期待を満たすように生きることは、楽なものでしょう。自分の人生を、他人任せにしているのですから。たとえば親の敷いたレールの上を走る。ここには大小さまざまな不満はあるにせよ、レールの上を走っている限りにおいて、道に迷うことはありません。しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いは出てきます。「いかに生きるべきか」という壁に直面するわけです。<157ページ>

他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。<159ページ>

自分が自分の人生を好きに生きてはいけない理由など、どこにもありません。<159ページ>

不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見て「享楽的だ」と批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です。自分自身がほんとうの自由を選んだ大人なら、そんな言葉は出てきませんし、むしと自由であろうとすることを応援するでしょう。<159ページ>

アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。ここまで考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。(青年)なんですか?すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。<162ページ>

第四夜 世界の中心はどこにあるか

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける人生こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。<184ページ>

「わたし」は世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。<185ページ>

理不尽な要求を突きつけられたのなら、正面から異を唱えてかまわないのです。(中略)もしあなたが異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などない。こちらから捨ててしまってかまわない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。<194ページ>

仕事を手伝ってくれたパートナーに「ありがとう」と、感謝の言葉を伝える。(中略)いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。もしも横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。<204ページ>

どうすれば人は”勇気”を持つことができるのか?アドラーの見解はこうです。「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」。<205ページ>

共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。<206ページ>

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。<212ページ>

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる」

われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ”勇気”が足りていない。<229ページ>

労働とは、金銭を稼ぐ手段ではありません。われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、「わたしは誰かの役に立っている」ことを実感して、ひいては自らの存在価値を受け入れているのです。<239ページ>

「仕事」とは、会社で働くことを指すのではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部に過ぎない。会社の仕事だけしか考えないのは、人生の調和を欠いた生き方です。<248ページ>

あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献できたかどうかなど、原理的にわかりえない。つまり他者貢献をしていくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。(中略)すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。<252ページ>

承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。われわれは自由を選びながら、なおかつ幸福をめざす存在なのです。<254ページ>

普通であることは、無能なのではありません。わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。<261ページ>

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。(中略)ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです<266ページ>

人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。いや、見えるような気がしてしまう。しかし、もしも「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。(中略)われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすらぼんやりとした光のなかに生きている証です。(中略)過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」になんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。<271ページ>

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。<275ページ>

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。(中略)そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。<280ページ>

世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。<281ページ>

 

以上です。

ここで紹介した「名言」は、哲人と青年の対話の中で出てきた言葉を切り取ったものです。対話の中でしか分からない表現や、本書で定義付けされた語句も出てきています。ですので、なにを言っているか分からない「名言」もあったかと思います。そういったものは、ぜひ本書を手に取ってご確認いただければ幸いです。私が挙げたもの以外にも、素晴らしいお言葉はたくさん出てきています。

最後までご覧いただきありがとうございます。


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